
株式会社ユザワ創業の地は、 栃木県日光市瀬尾1459にあります。
冒頭の写真は、ユザワ本社を建築する前の、昭和30年頃の当地の風景です。
ここが私の生家でした。
そして、現在もここが本社です。
どんな場所かは、こちらの地図をご覧ください。
東京から電車で2時間半。栃木県最大の都市である宇都宮市からでも1時間かかる、「辺鄙」といえる場所。しかも本社の裏は山しかありません。
そんな山奥のような場所からスタートした株式会社ユザワは、全国にお得意先を持つ会社に成長しました。
企業としてはハンデだらけだったユザワを、どうやってここまで育てることができたのか。
今回は、そのあたりをお話したいと思います。
■インテリアを志した時、壮大な計画を描いた
第一回で書いたとおり、私のインテリアビジネスの原点はアメリカ視察旅行です。
日本にインテリアを広めること。
自分でビジネスを志すならば「トップ」を目指すこと。
この二つを実現したい。
これを実現するために、私は20年計画を描きました。
まず最初の10年は修行。
この10年で得たノウハウ、人脈、資金を元に創業する。
創業後の10年は、もっとも得意なことにフォーカスし、そのジャンルでトップになる。
10年後の起業を決めて、帰国後インテリア商社に入社したのです。
■まずはトップを目指せ
インテリア商社に入社する時に決めたこと。
実績を上げてトップになり会社に貢献し、惜しまれながら退職する。
おかげさまでこの商社ではとてもノビノビと仕事をさせていただき、「新規開拓の神様」と呼ばれるほどの実績を上げることができました。
10年で退職する予定でしたが、経験を積ませていただいたお礼奉公もいたしましたので、13年間の修行となりました。
この商社は繊維が得意な会社でしたが、窓まわりから床、壁装材、さらにはその工事まで携わり、支払い以外のすべての業務に精通することができました。
■ユザワ創業時の強みと弱みとは?
株式会社ユザワの前身となる湯沢インテリアを創業したのは平成元年のこと。

【株式会社ユザワ創立当時の風景】
インテリア商社での13年で得た多くの強みはありましたが、大きな弱みもありました。
それをまとめてみると
・強み
資金力 商社時代に、計画的に運転資金を準備
営業力 新規開拓の神様とまで言われたノウハウ
仕入れ力 商社時代に綿密にリサーチし、関係を構築
人脈 商社時代に構築した人脈
・弱み
立地が山奥 人に来てもらいにくい場所
物流 立地的に不利
知名度 創業仕立てだから当然ですが・・・
ソフトウェア力 ハードウェア(仕入れ)は自信ありだが、提案力が未熟
となります。
この弱みを乗り越えれば、山奥からでもトップを目指せる、そう考えた私は、もっとも得意なことにフォーカスすることにしました。
それが「カーテン」です。
商社時代、カーテンはもっとも得意な商品でしたし、市場規模としてもウィンドウトリートメント2000億円のうちカーテンは1200億円の売り上げ(1989年当時)がありましたから、カーテン市場に特化することで、一点突破を狙ったわけです。
これまでの営業ノウハウと人脈を活かせば、山奥であっても十分に勝算はありました。
ただ、ソフトウェアとしてのインテリア提案力と知名度の不足はいかんともしがたい事実。
そこで新たに取り組んだのがインテリアコーディネーター支援活動だったのです。
■「インテリアの神様」町田ひろ子先生との出会い
インテリアコーディネート力を身につけよう。
そう考えた私は、湯沢インテリア創業と同時に、宇都宮に開校されたばかりの町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミーにも入学。
宇都宮校第一期生として、町田ひろ子先生の薫陶を受けることができました。
事業を立ち上げたばかりの激務の中、毎週2回の夜間の部に、2年間無遅刻無欠席で学び続け、皆勤で卒業したことは、自分でも誇りに思います。

【宇都宮校一期生の仲間たちと。(後列左から6番目が私です。)】

【卒業証書とともにいただいた特別皆勤賞の賞状】
アカデミーで学んだこと、そこで出会ったインテリアの仲間たちは、湯沢インテリアのビジネスへの大きな力となり、今に続く営業活動の礎となりました。
町田ひろ子先生には感謝しかありません。
2020年1月、町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミーの公開プレゼンテーション見学会が宇都宮で開催され、私も宇都宮校一期生として講評に参加させていただきました。

【宇都宮市で開催された町田ひろ子校長先生のセミナー】

【恩師の町田ひろ子先生と宇都宮教室主催の室賀先生とご一緒に!!】
町田ひろ子先生のセミナーも聴講しましたが、30年を経てなおパワフルさを増したプレゼンテーションに感動するとともに、町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミーの「はじめにくらしありき」という理念、「即戦力」を育てる教育方法のすばらしさを再認識した次第です。
■知名度アップのためのインテリアコーディネーター支援活動
ソフトウェア提案力を自ら身につけるともに、インテリアコーディネーターのネットワークを構築することで、業界に「栃木に湯沢インテリアあり!」と知らしめる活動も行いました。
それが、日本で四番目のインテリアコーディネーター団体となる「フェリーチェインテリアコーディネータークラブ」(栃木インテリアコーディネーター協会の前身)の設立です。
私は初代会長を5年観務めましたが、自身の勉強になったのはもちろんのこと、北関東のインテリア業界に微力ながら貢献できたのではないかと自負もしております。
栃木インテリアコーディネーター協会は2018年に創立30周年を迎えました。

【栃木インテリアコーディネーター協会設立30周年記念行事を開催】
私は現在も事務局長として参画しており、北関東におけるインテリア業界のリーダー的な立場として活動を継続しております。
■三足のわらじで猛ダッシュ
平成元年は、日本にとって元号が変わるという大転換の年でしたが、私にとっても激動の年になりました。
湯沢インテリアの代表、町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー宇都宮校の一期生、さらにインテリアコーディネーター協会の会長と、三足のわらじを履いてスタートダッシュ。
今思えば、よく体を壊さなかったものだ、と思うほどの激務の毎日でしたが、おかげさまで湯沢インテリアの売り上げは順調に伸び、創業三年を経て、株式会社ユザワとして本格的な起業を果たせたのでした。
湯沢インテリアの売り上げ推移
平成元年3月~12月 5000万円
平成2年1月~12月 7000万円
平成3年1月~12月 14000万円(※株式会社ユザワとして)
次回はより具体的な経営と商売のコツ等を中心に、人間関係と得意な新規開拓について述べたいと思います。
これまでの「私のインテリア自分史」
第一回:農家の長男、世界でインテリアに感動する
第二回:インテリア業界で30年つら抜いた提案型営業
第三回:日光から日本のインテリアを良くしよう(中禅寺湖編)
第四回:日光で日本のインテリアの原点を知ろう(日光編パートⅠ)
第五回:日光で日本のインテリアの原点を知ろう!!(日光編パートⅡ)
第六回:トップにこだわる男の夢(日光編パートⅡ)
第七回:山奥からのインテリアビジネス、そのハンデ乗り越え方(このページです。)